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大山巌の妻、捨松さんは、女子留学生第一号。「鹿鳴館の花」と呼ばれる

メルマガ「国際派日本人養成講座」H24.05.06号
「大山捨松(下)~ 貴婦人の報国」より、


大山巌の妻、捨松さんの生涯のお話です。
国に報いたいお気持ちが、すごいです。


「鹿鳴館の花」と呼ばれたのも、

自分が鹿鳴館で華麗に踊り、ホステス役を務めることで、日本の文明開化ぶりを示し、
不平等条約の改正に役立ちたかったからです。


ところで、TPPに参加したら、
また、「鹿鳴館」で踊るらなアカンのでしょうか。。。


不平等条約の改正に苦労された方々への思いも大切にしたいですね。


(参考)

■視点・論点 「TPP参加の是非」 京都大学准教授 中野剛志
NHK 2011年10月21日 (金)
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/99077.html

(引用はじめ)


最後に、政府の一部に、「まずは、TPPの交渉に参加してみて、どうしても譲れない部分があるなら、交渉から離脱すればよい」と言って、TPPの交渉参加を促す声があります。

しかし、TPPへの参加が結婚ならば、TPPの交渉参加とは、婚約のようなものです。交渉参加とは、参加を前提としたお付き合いなのです。ですから、いったん多国間交渉に参加して、そこから離脱したという国の例は、ほとんどありません。

特にTPPは、先ほど申し上げましたように、実質的に日米協定です。したがって、もし日本がいったん交渉に参加しながら、途中で抜けたら、アメリカは裏切られたかっこうになり、日米関係は非常に悪化します。アメリカ以外の国々からも信頼を失います。

ですから、TPPの交渉にいったん参加したら、どんなにルールが不利になろうと離脱することはできなくなってしまうのです。

 一九一一年、日本は小村寿太郎の活躍によって、不平等条約を改正し、関税自主権を回復しました。それからちょうど百年後の今年、その関税自主権を放棄するなどという歴史を、私たちは、後世に語り継いでいけるのでしょうか。

(引用おわり)



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■■ Japan On the Globe(747) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■

人物探訪: 大山捨松(下)~ 貴婦人の報国

女子留学生第一号として帰国した捨松は、国に報いる道を求めた。

http://archive.mag2.com/0000000699/20120506080000000.html
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■1.帰国

 明治15(1882)年11月21日、大山捨松と津田梅子を乗せたアラビック号は、美しく晴れ渡った横浜港に入港した。二人にとっては丸11年ぶりに見る祖国であった。

 出迎えに来てくれた肉親たちとゆっくり話をする間もなく、二人は「乳母車を大きくしたような」人力車に押し込まれ、街道の両側に並ぶ小さな家々を見て、「まるで小人の国に来たガリバーのような」気がした。

 牛込の山川家につくと、母親が次兄・健次郎夫婦などとともに捨松を出迎えた。お前を「捨」てたつもりで遠いアメリカにやるが、お前がお国のために立派に学問を修めて帰って来る日を心待ちにして「待つ」ているよ、との気持ちを込めて「捨松」と名付けてくれた母は、どんな思いで美しく成長した娘を出迎えたことだろう。

 正しい日本語ができないので、さぞ恥をかくだろうと心配していたが、「思いのほか、祖国の土を踏むと私の舌はほぐれ」、アメリカで健次郎から厳しく日本語の勉強を言いつけられたことを感謝した。日本の着物にもすぐ慣れて、家の中ではいつも着物で過ごすようになった。


■2.「祖国のために生きることの方がもっと大変なこと」

 捨松は、早速、帰朝報告と仕事の相談のために文部省に出向いた。しかし、男子留学生には大学や官庁の仕事がすぐに与えられていたが、捨松と梅子の将来については、国は具体的な計画を何一つ持っていなかった。

 文部省の方でも捨松と梅子の処遇には、頭を悩ませていた。名門ヴァッサーカレッジの学士号を持った捨松は、実力から言えば大学の教職についてもおかしくなかったが、女性が大学で教えるなどという前例はなかった。

 文部省からは東京女子師範学校で教えるという仕事の申し出があったが、日本語の読み書きができなかったので、日本語の教科書を使い、日本語で黒板に書くこともできないので、断念せざるをえなかった。この頃の苦しい胸の内を、捨松はアメリカのベーコン家で姉妹同様に育ったアリスにこう書き送っている。

__________
アリス。人はよく祖国のために死ぬことは名誉あることだといいますが、祖国のために生きることの方がもっと大変なことだと思います。

もし、誰かが死ぬことで、日本のためになるのでしたら、私は喜んでその一人になるでしょう。でも、今日本が一番必要としているのは、心からこの国に貢献したいと願っている人達による息の長い仕事なのです。[1,p179]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 しかし、捨松には、そのような仕事の機会はなかなか見つからなかった。


■3.大山巌

 いかに祖国のために生きていけばよいのか、と思い悩む捨松に結婚話が持ち込まれた。一度、別の男性から求婚されたときは、「お国のお陰で外国で修業できたのですから、まずその御恩をかえさねば結婚など出来ません」と断っていた。

 しかし、どうにも就職する道が見つからない状況で、捨松は結婚する事で別の道を見つけられるのではないか、と考えるようになった。

 結婚を申し込んできたのは、時の陸軍参議大山巌(いわお)42歳であった。24歳の捨松とは18も年が違い、前年に妻を亡くしたばかりで、7歳を頭に3人の娘がいる。

 大山巌は西郷隆盛の従兄にあたり、若い頃から近代兵器の開発に関心を持っていた。奇しくも、捨松が明治4(1871)年11月12日に米国に旅発った次の日に、大山は欧州留学の途についている。

 ヨーロッパで留学生活を送った大山は、自分の娘達にもぜひしっかりした教育を受けさせたいと願っていた。また時の政府高官として外国人とのつきあいも多く、社交の場に出しても立派に振る舞える夫人を必要としていた。

 そこに紹介されたのが捨松だった。英語はもちろん、フランス語、ドイツ語にも堪能で、日本で唯一の大学出の肩書きを持つ女性である。考えれば考えるほど、捨松は自分の伴侶にふさわしい女性だと思えてきた。

 捨松の方は話が持ち込まれた時、相手の人となりを納得の行くまで知った上で返事をしたいと申し出て、当時としては珍しくたびたび、今風に言えば大山とデートをした。そして結婚を決心した。


■4.「自分が誰かの幸せと安心のために必要とされている」

 結婚の決心を、捨松は次のようにアリスに書き送っている。

__________
 大山氏はとても素晴らしい方で、私は自分の将来を彼に託すことにしました。・・・

 私は今、未来に希望が持てるようになりました。自分が誰かの幸せと安心のために必要とされていると感じられることは、ともすれば憂鬱になる気持ちを癒やしてくれるなによりの薬となりますし、私に勇気を与えてくれます。[1,p195]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 アメリカから帰国して1年後、明治16(1883)年11月8日、日本式の結婚式が行われ、その1ヶ月後、新装なった鹿鳴館で、大山巌は結婚披露の晩餐会を開いた。この日、招待を受けたアメリカ人の雑誌記者ジョン・ドワイトは大山夫人のデビューぶりを次のように書いている。

__________
 その夜は、約8百人の日本人と2百人程の外国人が招待されていた。伯爵夫人は、お客が入場する時、さらに退場する時にも一人一人と握手したばかりか、日本人には、一人につき6回はお辞儀をしたのである。もし、アメリカの婦人であったら、殺されてしまったかもしれない程の離れ業であった。・・・

「完璧なホステスぶり、今まで東京で開かれた一番素晴らしい夜会」これが伯爵夫人に送られた賞賛の言葉であった。[1,p201]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■5.「鹿鳴館の花」の報国

 鹿鳴館は外国からの賓客を接遇するために明治政府の肝いりで作られた施設であった。当時の日本は欧米諸国から不平等条約を押しつけられており、外国人犯罪には日本の法律や裁判が適用できない、輸入品にかける関税も自由に決められない、という状態にあった。

 この不平等条約の改正の一助として、欧米流の社交施設を作り、日本が文明国であることを印象づけようとしたのである。

 しかし維新までは下級武士などであった政府高官たちやその妻が、急に礼服を着て、食事をしたり、ダンスをしても、西洋人の目から見れば、様にならない事、甚だしかった。

 当人たちにしても、そんな思いをするより、家で和服でくつろいでいた方がはるかに楽だったろう。しかし、そんな思いまでしても、なんとしても条約改正を、と願った先人の労苦に我々は思いをいたさなければならない。

 そんな中で、日本人離れしたプロポーションで夜会服を身にまとい、外国人と流暢な会話をしながら、軽やかなステップでダンスを踊る捨松は、一夜にして「鹿鳴館の花」と呼ばれるようになった。

 しかし、その捨松にしても、コルセットで身動きできないほど身体を締め付け、ハイヒールの痛さを笑顔で隠してワルツを踊るのは、大変だったろう。しかも捨松は、7年余の鹿鳴館時代に、4人の子供を身ごもっている。

 捨松は、自分が鹿鳴館で華麗に踊り、ホステス役を務めることで、日本の文明開化ぶりを示し、それが少しでも条約改正に役立つならばと、その身の苦労を厭わなかった。


■6.日本最初の慈善バザー

 ある時、捨松は政府高官の夫人たちと病院を参観する機会があった。病室を訪れると、驚いたことに男性が病人の世話をしている。院長に「なぜ看護に女性を使わないのですか」と尋ね、米国での見聞から、女性の方がきめ細かな看護に向いている、と説明した。

 院長の答えは、「ごもっともですが、何分経費が足りず、看護婦養成所を作りたくともとても手が回りません」ということだった。そこで捨松は米国での慈善活動の経験を生かして、日本でバザーを開いて資金集めをしようと思い立った。

 捨松の音頭取りで、明治17(1884)年6月12日から3日間、日本で最初のバザーが鹿鳴館で開かれた。上流階級の夫人や令嬢たちが店を開いて品物を売るというので新聞紙上にも評判となり、皇族や政府高官たちも馬車や人力車で押しかけて大賑わいであった。

 鹿鳴館の二階に作られた売り場では、夫人や令嬢たちの作った人形、ハンカチ、竹細工、菓子などが並べられ、値段は市価よりも随分高くつけられた。客が買わずに通り過ぎようものなら、内務卿・山県有朋夫人、参議・西郷従道夫人など、そうそうたる夫人たちに捕まって、何か買わされてしまう。

 結局、3日間で約1万2千人が入場して、収益も目標の1千円をはるかに超える8千円にのぼり、全額が看護婦養成所設立のために寄付された。

 捨松はその後も、看護婦の育成に深い関心を持ち続け、日本赤十字社に働きかけて、「篤志看護婦人会」を設立した。


■7.「私達は日本の生存のために闘っているのです」

 明治37(1904)年7月、大山が日露戦争の満洲軍総司令官として出征すると、捨松は包帯作りから、募金集め、貧窮家庭の支援など、大車輪の活躍を始めた。その様子を捨松はアリスへの手紙で書き連ねた。

__________
 この戦争に対する国民の関心は非常に大きく、勝利を得るまでは、どんなことにも耐えていく覚悟でいます。天皇陛下から身分の低い労働者まで、日本人は皆一体となってベストを尽くしています。

戦争に勝つには前線で闘っている兵士達の力だけでは勝てません。国民の支持を受けていない軍隊は、けっして勝つことは出来ません。又、アメリカの皆様からの精神的な御支援も私共の心の大きな支えとなっているのです。[1,p289]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 アリスは、捨松の活動を助けようと、この手紙をアメリカの新聞や週刊誌に公表して、日本への寄付金を募った。当時、アメリカの新聞は、大山元帥を「東洋のナポレオン」を賞賛し、その夫人が東部の名門女子大ヴァッサーカレッジの卒業生であることを誇らしげに書いていた。当然、その反響は大きかった。

 続々とアリスのもとに寄付が集まり、アリスはそれを捨松に送った。捨松は、その一人一人に礼状と領収書を書き送った。

 奉天会戦の勝利の後には、捨松は自らペンをとって、アメリカの全国版週刊誌「コリアーズ・ウィークリー」に投稿した。「戦時下における日本婦人の働き」と題して、日本の婦人たちが銃後を守るためにどんなに一生懸命働いているか、を書き綴った。その結びには次のような一文があった。

__________
 たくさんのアメリカ人が、日本に同情的であると聞いています。私達は日本の生存のために闘っているのです。私達の主張は正当で間違っていないと信じています。

私達は勝利を確信していますが、それにはもう何年も闘っていかなくてはなりません。アジアに永久平和をもたらすために。どんなに長い間でも戦う心の準備は出来ています。[1,p298]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 いかにも武家出身の女性らしい凜とした言葉は、英国と戦って独立を勝ち取ったアメリカ人の独立精神に響くものがあったろう。


■8.大きな慰め

 日露戦争が終結し、夫も戦地から無事に帰ってくると、捨松にもようやく平穏な生活が戻ってきた。大山は、軍人は政治に関与すべきではない、という信念を貫いて、栃木県の那須野に農場を開いて、百姓仕事にいそしんだ。「私達は『仲の良い老夫婦』となりました」と、捨松はアリスに書き送っている。

 大正5(1916)年11月17日、大山巌は、大正天皇のお供をして九州福岡で行われた陸軍特別大演習を陪観した帰りの汽車の中で倒れ、3週間後、捨松ら家族に見守られながら、75歳の生涯を閉じた。

 葬儀は国葬によって執り行われ、式の最中、捨松はうなだれたままで、手にした扇子が小刻みに震えていたが、最後まで涙を見せなかった。

 身辺がようやく落ち着いてから、捨松はアリスに手紙を出した。

__________
 私にとって主人を失うということがどのようなことかは、あなたにお話しするまでもないと思います。私にとって大きな慰めだったことは、主人が天皇陛下にお仕えしている最中に亡くなったことです。

 もう一つ、私を慰めてくれたことは、主人が孫の顔を見ることができたことです。・・・2,3分でも赤ん坊を主人の病室に連れて行くと、とても嬉しそうにしていました。[1,p319]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 夫の死後、捨松は公式の場から完全に身を引き、孫の相手をすることを何よりも楽しみとして過ごした。女子留学生第一号として、大山司令官夫人として、お国のために尽くしてきた捨松に、ようやく静かな日々が訪れたのであった。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(745) 大山捨松(上) ~ 日本初の女子留学生
 12歳でアメリカに渡った捨松は、伸び伸びと育ちながらも、国を思う心は忘れなかった。
http://blog.jog-net.jp/201204/article_4.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 久野明子『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松─日本初の女子留学生』★★★、中公文庫、H5
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4122019990/japanontheg01-22/



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  1. 2012/05/11(金) 17:42:01|
  2. 国際派日本人養成講座
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縄文土器は【世界で最古の土器】って知ってる? 1万数千年前の世界でも日本列島は文明的には最先端に

メルマガ「 国際派日本人養成講座」2012/3/18号より、


教科書によって、縄文時代の書かれ方も全然違いますよね。。
僕も、縄文時代が文明的に優れていたなんて、印象はありませんでした。


【人々が豊かな自然と調和して暮らし、約1万年間続いた縄文時代は、
 その後の日本文化の基盤を作りました。】


なんて教えてもらったら、日本に誇りを持ちますよね。


是非、どうぞ↓

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国柄探訪: 歴史教科書読み比べ(2)
~ かけ離れた縄文人の自画像
 二つの教科書に描かれた縄文人の姿は、こんなにかけ離れている。

http://archive.mag2.com/0000000699/20120318080000000.html
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■1.「世界最古の土器」

 我が国の源流とも言うべき縄文時代で、扶桑社と東京書籍の歴史教科書を比べてみると、前者には明記されているのに、後者には書かれていない重大ポイントがある。

__________
(扶桑社) 今から1万数千年前、人々は、食物を煮炊きしたり保存したりするために土器をつくり始めました。これらの土器は、その表面に縄目の模様(文様、もんよう)がつけられることが多かったため、のちに縄文土器とよばれることになります。

これは世界で最古の土器で、縄文土器が使用されていた1万数千年前から紀元前4世紀ごろまでを縄文時代とよび、このころの文化を縄文文化といいます。[1,20]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__________
(東京書籍) 今から約1万年前、氷河期が終わり、海水面が上昇したため、それまで大陸の一部であったところが島となり、日本列島ができました。

 そのころ、人々は土器をつくり始めましたが、その土器は、表面に縄目のような文様がつけられていることが多いので、縄文土器と呼ばれています。このため、このころの文化を縄文文化、この時代を縄文時代と呼びます。[2,p18]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 扶桑社版によれば、「日本の縄文時代は1万数千年前に始まり、世界で最古の土器を作り出した」のに対し、東京書籍版では「約1万年に始まった」とし、「世界最古」という記述はない。


■2.日本の土器は世界最古?

 土器は、文明度を計る重要な目安である。旧石器時代には、人類は移動生活を送りながら、狩りや木の実の採取などで暮らしていた。道具と言えば石を砕いて作った石器ぐらいしかなかった。

 そこに土器が発明されると、煮炊きが可能となって様々な動植物を食料とすることができ、さらに食料の保存もできるようになる。それによって、人類は定住生活を営めるようになった。

 また土器は土をこねて作るので、模様をつけたり、火焔の形を作ったりと、芸術表現も可能となる。こうした生活の一大進歩を象徴しているのが、土器の登場なのである。

 その土器を世界で最も古い時代に作り出したということは、当時の世界でも日本列島は文明的には最先端にいた、ということになる。
 日本の土器が「最古」というのは、本当なのだろうか?
現在、世界最古と考えられている土器の一つが、青森県大平山元(おおだいやまもと)遺跡から出土したもので、約1万6500年前。これは模様のない無文土器だが、約1万4500年前ごろには、粘土ひもをはりつけた「隆線文土器」が生まれ、全国に広がっている。

 世界の他の地域では、南アジア、西アジア、アフリカでの最古は約9千年前、ヨーロッパが約8500年前で、これらに比べると、飛び抜けて古い。

 岡村道雄・元文化庁主任文化財調査官は、日本列島の土器は「質量ともに世界の他の時代や地域のものとくらべても際立っている」と述べている。[3,p55])


■3.「森の民」が、いちはやく土器づくりを開始した

 ただ日本海の対岸であるロシア・アムール川流域(沿海州)では約1万5千年前の土器が出土している[4]。さらに、近年の中国考古学の発展によって、2万~1万8千年前の土器が長江(揚子江)中流域の南部で見つかっている。

 したがって厳密には「世界最古」と言うより、中国南部や沿海州と並んで、「世界最古級」の土器、というべきであろう。

 これらの地域で先進的な土器作りが始まった理由を、環境考古学の国際日本文化研究センター教授・安田喜憲教授は、こう述べている。

__________
 最終氷期の東アジアには、北と内陸部の草原地帯、南と海岸部(JOG注:
日本海の両岸、すなわち日本列島と沿海州)の森林地帯という異質な2つの生態地域が明白なコントラストをもって分布していた。・・・

 最終氷期最盛期が終末に近づいた頃、「森の民」が、いちはやく土器づくりを開始し、世界にさきがけて定住生活に入ったということができるだろう。氷期から後氷期の気候変動のなかで、いち早く森林環境が拡大した中国南部において、土器は2万~1万8000年前の最終氷期最盛期後半に出現し、1万6500年前には日本列島北部から沿海州において土器づくりが始まった。[5]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この研究成果からすれば、定住生活と土器作りにおいては、中国南部から沿海州、日本列島にかけての地域は、世界の最先端を走っていた、ということができよう。


■4.「森の民」としての自画像

 ここで注意すべきは、この長江流域の「森の民」とは、1万年以上も後に草原地帯である黄河流域で中国文明を興した畑作牧畜の漢民族とは異なる、という点である。

 安田教授は、6300年前に長江流域で、巨大文明が誕生していたことを発掘調査で明らかにした。それは長江を利用して稲を栽培し魚を捕る稲作漁撈民であり、漢民族による黄河文明よりも、千年も早い。この長江文明の祖先が、長江流域で世界にさきがけて定住生活に入った「森の民」だろう。

 弊誌402号「日本のルーツ?
長江文明」では、この長江文明の民が、4200年前の気候の寒冷化で黄河流域から南下してきた漢民族に敗れ、一部は中国南部の少数民族となり、他の一部は台湾や日本に渡った、という安田教授の仮説を紹介した。[a]

 前節で紹介した安田教授の研究は、さらに遡って、我が国が縄文時代から、長江流域の「森の民」と密接な関係にあったという仮説を示している。

 縄文時代の日本列島が、長江流域や沿海州とともに、世界に先駆けて定住生活に入り、先端的な土器作りを始めた、という点は、日本人の自画像を描く上で、大切なポイントである。


■5.縄文人たちの高度な技術と文化

 縄文文明の先進性を物語っているのが青森県の三内丸山遺跡である。育鵬社版では口絵の見開き2ページで、イラスト、写真を使って説明している。説明文にはこうある。[1,p16]

__________
 これは、今から約5500~4500年前に青森県で栄えていた縄文時代の集落跡・三内丸山遺跡です。縄文人たちは、私たちが想像する以上に高度な技術と文化をもち、豊かな共同生活を営んでいました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 そこには、長さ32m、幅9mの大型竪穴住居や、高さ14.7mの櫓(やぐら)状の建物の復元写真、さらには北海道や長野、新潟から運ばれたひすいや黒曜石の飾り石などを写真で紹介している。

 縄文時代の人々が、毛皮をまとい、狩りをしたり、貝や木の実を採集して原始生活を営んでいた、というイメージはすでに過去のものとなっているのである。


■6.中国文明の後で、日本列島の原始生活イラスト

 一方、東京書籍版が描く縄文時代は、この過去のイメージから脱却していない。「2 文明の発生と東アジア世界」では、世界の文明の進展状況を以下の順で記述している。

・「新石器時代」 今から1年ほど前、土器や磨製石器を使うようになった。

・「文明の発生」 アジア、アフリカの大河のほとりで、国ができた。いわゆる中国、インダス、メソポタミア、エジプトのいわゆる四大文明。

・「中国の古代帝国」 殷の甲骨文字(3600年前)、秦の始皇帝陵の兵馬俑(へいばよう)(2200年前)、儒学、シルクロード経由の仏教。(なぜか、「紀元前後に朝鮮北部には高句麗が興る」と、とってつけたような記述もある)

 こうして中国文明の先進ぶりを詳しく紹介した後で、「3
縄文文化と弥生文化」の章で、ようやく日本列島が登場する。最初のイラストは、小さな竪穴式住居の周辺で毛皮をまとった人々が、土器を作ったり、小舟で魚取りをしている集落の様子だ。


■6.毛皮を着た原始人がどうして高さ15mの建物を建てられたのか?

 せいぜい3600年前から2千年前の中国文明を記述した後で、いきなり1万年前の日本列島の様子を、しかも原始生活の想像図で描く、という構成では、中国では文字を発明したり、儒学を興したりしていた時代に、日本列島では毛皮を着た原始生活をしていた、という誤解を中学生たちに与えかねない。

 前述のように、最新の研究成果によれば、日本列島は長江流域に続いて1万6500年前には定住生活に入り、土器を作り出していた。黄河流域で漢民族による中国文明が興るのは、その1万年以上も後の全く別時代のことである。

 さすがに三内丸山遺跡に関しては、1ページのコラムで紹介しているが、縄文時代の本文とは離れて、弥生時代の記述の後に出てくるのみで、しかも原始生活のイラストや記述との関連性はまるで語られていない。

 イラストに描かれた原始生活と、高さ15mもの建物が同じ縄文時代だと気がついて、毛皮を着た原始人が、どうしてこんな巨大な建物を建てられたのか、と疑問に思う中学生はごく少数だろう。

 逆に、この三内丸山遺跡のコラムは、本文の「弥生文化の成立」で、「大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって」稲作や金属器が伝えられた、と述べたページの直後に置かれているので、これも中国・朝鮮から伝わった技術かと、勘違いする中学生も出てくるだろう。

 こんな不自然な記述順序では、先進的な中国文明が朝鮮を通じて、原始生活を送っていた日本列島に入ってきた、という誤った先入観を植え付けかねない。

 一方、育鵬社版は、年代順に「2 豊かな自然と縄文文化」で、縄文土器や三内丸山遺跡を述べた後に、「3
文明のおこりと中国の古代文明」に入っていく。これが自然な構成である。


■7.縄文人の後進性を強調する東京書籍版

 縄文人の生活に関しても、両者の記述ぶりは大きく異なる。東京書籍版はこう述べている。

__________
 縄文時代には、植物の栽培が始まりましたが、木の実やけものや鳥、魚や貝などが豊富にあったため、農耕や牧畜は、あまり発達しませんでした。人々は集団をつくり、たて穴住居に分かれて住みました。海岸や水辺には、食べ物の残りかすなどを捨てた貝塚ができました。[2,p18]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 自然の食べ物が豊富にあったので、「農耕や牧畜は、あまり発達しませんでした」と否定的な表現をしている。この点は、時代を逆転させて、この前に「アフリカやアジアの大河のほとりでは、農耕や牧畜が発達し」と述べていたのと対比した記述であり、縄文人の後進性をことさらに強調している。


■8.縄文人の生活を生き生きと描く育鵬社版

 これに対して、育鵬社の教科書は、当時の人々の生活の有様を生き生きと描いている。土偶の写真とともに、以下のように述べる。

__________
 また、この時代の遺跡からは、神殿や、女性をかたどった土偶とよばれる人形(ひとがた)が見つかっています。土偶は、豊かな自然のめぐみや子孫繁栄などを祈るためにつくられたと考えられています。[1,p21]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 縄文人の食生活についても、具体的に記述されている。
__________
 縄文時代の人々の生活は、魚介類をとったり、狩猟や採集を中心とするものでしたが、クリやクルミ、あわやひえなども栽培しており、原始的な稲作も始まっていました。また、干物や塩漬けなどの保存食や、木の実を原料とした酒をつくる技術をもっていました。こうした食料をたくわえる技術の進歩が、人々の定住化をうながしました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 さらに、季節ごとに、夏はイワシやカツオなどの漁労、冬はイノシシ、シカ、ウサギなどの狩猟、春や秋はゼンマイやクリなどの採集をしていた図を示し、「縄文人は、季節ごとの自然のめぐみに合わせて、規則的な生活を送っていた」と紹介している。

 このような記述のあとで、育鵬社版は、こう結論づけている。

__________
 人々が豊かな自然と調和して暮らし、約1万年間続いた縄文時代は、その後の日本文化の基盤を作りました。[1,p20]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 東京書籍版が、縄文人を単に文明の遅れた原始人として、突き放して記述しているだけなのに対し、育鵬社版は、最新の研究成果に基づいて、高度な技術と文化を持ちながら、豊かな自然の中で調和して暮らしていた我が祖先の姿を、生き生きと描き出している。

 多感な中学生時代に、どちらの教科書で自画像を学ぶかによって、人格形成上でも、大きな違いが出てくるだろう。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(304) 日本のルーツ? 長江文明
 漢民族の黄河文明より千年以上も前に栄えていた長江文明こそ、日本人のルーツかも知れない。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h15/jog304.html

b. JOG(134) 共生と循環の縄文文化
 約5500年前から1500年間栄 えた青森県の巨大集落跡、三内丸山遺跡の発掘は、原日本人のイメージに衝撃を与えた
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h12/jog134.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 伊藤隆他『新しい日本の歴史─こんな教科書で学びたい』★★★、育鵬社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594064019/japanontheg01-22/

2. 五味文彦他『新編 新しい社会 歴史』、東京書籍、H17検定済み

3. 岡村道雄『日本の歴史01 縄文の生活誌』★★、講談社学術文庫、H20
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/406291901X/japanontheg01-22/

4. asahi.com、H21.10.03「日本の土器、世界最古なの?」
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200910030143.html

5. 安田喜憲「長江流域における世界最古の稲作農業」、『ARDEC』、H16.3
http://www.jiid.or.jp/files/04public/02ardec/ardec29/key_note3.htm

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  1. 2012/03/19(月) 17:51:41|
  2. 国際派日本人養成講座
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自衛隊の人づくり〜 被災地の過酷な環境の中で、なぜこんなに優しくできるのか。

メルマガ「国際派日本人養成講座」H24.03.11号
「気は優しくて力持ち ~ 自衛隊の人づくり」より、

読んでいて泣けました。。

力強いだけでなく、心優しい自衛隊は日本の誇りです。


●加地伸行「9月入学前に自衛隊入隊」を
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120226/plc12022603110000-n1.htm

なんて、記事もありましたが、
私も賛成です。

なんしか、

●自衛隊に「良い印象」9割超…震災対応で好感度 
(内閣府 1969年の調査開始以来最高)
http://ameblo.jp/nippon-no-hokori/entry-11188997117.html


という世の中なので、
まんざら「9月入学前に自衛隊入隊」も不可能ではないと思います。


世界的な動きでも、

●イタリアの新首相マリオ「若者の失業解消に軍隊の定員を増やし、若者の入隊を促す」
http://ameblo.jp/nippon-no-hokori/entry-11165740238.html

だったり、

●アメリカ文系学生の就職希望ランキング第一位は、
NPO法人の【Teach for America】です。
http://ameblo.jp/nippon-no-hokori/entry-11129259072.html


全米の最優秀学生を、教育が遅れている地域の小学校に2年間派遣して、
教育の格差をなくすことををねらったNPOですが、


グーグル、GE、デロイト、JPモルガンなどは自社の採用内定学生が
TFA(Teach for America)で2年間働くことを認めているそうです。


世の中、公のために働ける人が求められているんでしょうね。


自衛隊の皆様、
改めてありがとうございます。


ーーーー
■■ Japan On the Globe(739) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■
Common Sense: 気は優しくて力持ち ~ 自衛隊の人づくり
自衛隊員たちは、被災地の過酷な環境の中で、なぜこんなに優しくできるのか。
http://archive.mag2.com/0000000699/20120311080000001.html


■1.自衛隊員たちの優しさ

「俺、自衛隊に入る」、ポツリとその小学生は言った。「なぜ」と聞かれて、こう理由を語った。

 津波に呑み込まれた父親が帰ってこないかと、と毎日、ずっと海を見つめていたところ、若い自衛官に声を掛けられた。そこに佇(たたず)む理由を話すと、その自衛官は何も言わずに肩に手を置いて、しばらくの間、一緒に海を見てくれたのだという。[1,p83]

 被災地で救援に従事している自衛隊の一隊が、ある学校のそばを通りかかった時、先生から「どうしても金庫にしまった成績表を引き上げたいんです」と頼まれた。子供が行方不明のままの親御さんに、せめてもの形見にしてあげたいという。

 泥沼の中から金庫を取り出すのは至難の業だったが、小隊全員でなんとかやり遂げた。そこに視察中の上官が通りかかった。小隊長が慌てて、「すみませんでした。今後は捜索に集中しますので、今回だけは見逃してください」と懇願したところ、「素晴らしいことだ」と逆に褒められたという。[1,p82]

 毎日、朝から晩まで、被災者たちの救援で大変な毎日だったのに、自衛隊諸士はなぜこんなに優しくなれるのだろう。


■2.細やかな心遣い

 お腹をすかせている被災者を見かねた自衛隊員が、自分の分の食糧をこっそりと配っていた。被災者たちも「本当にもらっていいんですか? あなたの食べる分がなくなってしまうのではないですか?」と何度も確認したそうだが、自衛隊員たちは必ず笑顔を浮かべて、「しっかり食べていますから、大丈夫です」と答えたという。

 厳密に言えば、自衛隊の食糧を流用したという意味でルール違反なのだが、目の前で苦しんでいる被災者をなんとしても救いたい、という純粋な気持ちから起こした行動であり、上官たちも見て見ぬふりをしていた。

 また食事をする際にも、「被災者の目に触れない場所で食べること」というルールを守っていた。行方不明となった家族を必死に探している人が、自衛隊員たちが腰を下ろして食事をしている所を見たらどう思うか、という心遣いからだ。

 しかし、すべてを津波で押し流された被災地では、車の中くらいしか、隠れて食事をできる場がない。そして、その車はつい今し方まで遺体を運搬していた、という事もしばしばであった。

 避難所では、自衛隊の持ち込んだ風呂が喜ばれた。もともと1個師団につき二つずつ配備されているものだが、それを被災者に提供した。テントの入り口にのれんをかけて「○○の湯」と、その部隊所在地の名前を書き込むだけで、被災者は体だけでなく、心もホッと温まる。

 しかし、もともと隊員用なので、かなり湯船が深くなっているため、入る際の段差が高く、お年寄りには大変だった。そこで、すかさず隊員たちは、あり合わせの材料でお年寄りのための階段と手すりまで拵えて、誰でも入れるバリアフリーの風呂に変身させた。女湯では、女性隊員たちも一緒に入浴して、被災者のお世話をしたり、避難所での悩みに耳を傾けた。

 過酷な環境に中で、自衛隊諸士は、なぜこんなに細やかな心遣いができるのだろう。



■3.過酷な環境と使命の中で

 こうした優しさや心遣いは、思いやりのある人なら誰でも出来るだろう。しかし、災害地で自衛隊の置かれた過酷な状況と使命を考え合わせたら、それが到底、常人のなせる業ではないことに気がつく。

 朝は6時頃から日没までは、ひたすら救援・捜査活動をする。瓦礫の下に行方不明者が残っている可能性があるから、ビルの工事現場のように、重機で瓦礫を一気に取り除くことなどできない。行方不明者や遺体を捜索しながら、手作業で慎重に瓦礫を一つ一つ除去していく。

 遺体が発見されると、できる限り丁寧に収容することを心がけているが、担架などないから、背負って収容所まで運ぶ。戦闘服には腐敗した体液がべっとりついて、大変な悪臭を放つ。しかし、事業仕分けの影響でほとんどの隊員が2着しか戦闘服がないため、消臭スプレーでなんとかごまかすしかない。

 また自分の子供と同じくらいの年格好の子供の遺体を収容するのは、特に精神的にストレスが大きい。一日の作業終了後には、隊で車座になって、その日一日の苦しみ、悲しみを吐き出したという。

 暖かい食事を作る炊事車はあるが、被災者の食事を優先するので、多くの場合、乾パン、缶詰、カレーなどのレトルト食品だけとなる。こういう食事を、しかも不規則な時間に、かつ被災者に見られないように素早くとっていると、野菜不足もあいまって、ひどい便秘や口内炎に悩まされる。

 また、上述のように、風呂も被災者に提供しているので、隊員たちは当初は汗ふきタオルで済ましていた。

 こんな毎日が数ヶ月も続いたら、通常の人はそれだけで病気になるか、ノイローゼになってしまうだろう。そんな状態の中で、我々は、海に佇む少年の肩を抱いてやったり、成績表の入っている金庫を泥沼から引き上げたりすることが、出来るだろうか。なぜ自衛隊員たちには、それができるのか。


■4.「強くなければ優しくなれない」

 その秘密を、かつてイラク支援の「ヒゲの隊長」として名を馳せた自衛隊OB佐藤正久氏(現・参議院議員)[a]は、「強くなければ優しくなれない」として、こう説明している。

__________
 結論から言いますと、「もっと過酷な条件下で訓練しているから」に尽きます。

 基本的に自衛隊員たちは、朝6時に起床すると、そのまま夕方までハードな肉体錬成や各種訓練に明け暮れます。そして、すべての訓練が終わると、それぞれクラブ活動として野球やサッカーなどのスポーツにも励んでいます。

 つまり、一日中、野外で立ちっぱなし、動きっぱなし、というのは自衛隊員にとって特別なことではないのです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 こうした日々の鍛錬に加えて、時には「3日間で100キロ歩く」という行軍を行う。背中には20~30キロの荷物を背負い、さらに機関銃やロケット砲などを持って歩く。夜も交代で歩哨をする。
こうして100キロ踏破して目的地に着くと、そこから本番の演習が始まる。

 こうした極限状態を体に覚え込ませることで、どんな厳しい状況に置かれても耐えていける体力と精神力が身につく。


■5.集団生活から育つ「自己犠牲の精神」

 しかし、いくら体力と精神力が強くとも、人間としての優しさは別問題である。それはどこから来るのか? 佐藤さんは常に集団生活をしていることで、そういう心が育っていくと説く。[2,p123]

__________
 集団生活を維持していく、と言うと「切磋琢磨して成長し、ついてこられない者は切り捨てる」と勘違いされる方が多いようですが、実際にはまったく逆です。つまり、一番能力が低い人間にグループ全体に基準を置くのです。・・・

 全体を底上げしようとしたら、いかに能力が低い人間をフォローし、その人間の力を引き上げるか考えなくてはいけません。これ自体が、なんでもできる人間にとっては苦痛を伴う我慢になります。

そういったことを繰り返していくうちに、自然と仲間のために自分を殺してフォローに回るという『自己犠牲』の精神がしっかりと心に刻まれていくのです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この自己犠牲の精神から、「困っている人がいたら、理屈抜きで助ける」という優しさが出てくる。


■6.「自衛隊は教育の場でもある」

 佐藤氏は「自衛隊は教育の場でもある」と指摘している。入隊した時点では、尖ったり、やたらと威張ったりしている連中も多いが、入って3日で変わるという。[2,p134]

__________
 とにかく最初に床屋に連れていってバリカンで丸坊主にするわけです。そうすると面白いもので、さっきまであんなに威勢の良かった連中に限ってシュンとなってしまう。・・・

 実際の話、入隊式の段階で父兄の方が『本当にあれが暴れん坊だった我が息子か?」と目を疑ってしまうほど、最初の3日で変わってしまう。もっとも、この時点では上っ面だけの変化なのですが。

・・・大きく変わるのは10人単位のスモールグループで集団行動を始めるからでしょう。修了式ではもう別人です。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 もちろん、体を鍛えたり、人間修養の教育ばかりではない。必要な各種の技術を習得するためのクラスはいくらでもある。


■7.9月入学前に「自衛隊での訓練を受けよ」

 立命館大学教授の加地伸行教授は、国立大学の9月入学に賛成して、3月の高校卒業から、9月入学までの半年間は自衛隊での訓練を受けよ、と主張している。[3]

__________
 国立大学の教員・学生は、いったいだれのお蔭(かげ)で研究・教育の場を与えられているのか、分かっているのか。もちろん国民の血税のお蔭ではないか。とすればまずは国家に感謝し国家のために尽くすべきである。・・・

 とすれば、国立大学男女新入生(私学も希望者参加)は、まずは国防の大切さを実感するために、自衛隊において、将校でなく一兵卒として諸訓練を受けよ。そして受験勉強で柔(やわ)になった身体や世間知らずの小理屈を敲(たた)き直せ。

 半年、行軍・柔道剣道・水泳などで身体を鍛え、救命方法やクレーン車を動かせるまでの技術を学び、合宿中多様な友人を作り、国家とは何かを談じ合い日本人の自覚を持て。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 大学生たちが、こういう形で、強い体力と精神力、自己犠牲の精神とそれに支えられた優しさ、日本人としての自覚をもったら、将来の日本も大きく変わるだろう。

 弊誌は、さらに新卒者で就職先が見つからない若者たちに、一定期間、自衛隊での教育訓練を受けさせる事を提案したい。自衛隊で、強い体力、精神力、技術力、優しさを身につけた若者たちは、企業にとっても貴重な戦力となるし、一朝、事あるときには予備自衛官として駆けつけることができる。

 一人あたり給与と経費で年間400万円、5万人対象としても、年間2千億円で済む。高校無償化などに5千億円も使うよりは、はるかに大きな人材育成効果が期待できる。そして年に5万人の予備自衛官を育てることができれば、10年で50万人。大規模災害でも、十分な人数となる。


■8.津波や原発事故以上に悲惨な事態を抑止するには

 自衛隊での教育の本質が、極限状態での体力と精神力の鍛錬、そして集団生活で学ぶ「自己犠牲の精神」にあると述べたが、それはまさしく、ゆとり教育と行き過ぎた個人主義で歪められた戦後教育とは対極のものだ。

 元学生運動家で戦後教育の申し子とも言うべき菅前総理は[b]、震災時に自衛隊諸士とは対照的な行動をさらけ出した。防衛省に打診することもなく、出動人員を当初の2万人から、翌日12日には5万人、さらに13日夜には10万人に倍増させると発表したのである[c]。

 この時点でなすべき事は、詳細な現状把握をベースに、どれだけの部隊をどこに派遣すれば、国民の生命を最大限救えるか、という戦略であり、現状把握も救出戦略もないままに、単に動員員数だけをアピールすることではなかった。

 これは明らかに政治家としてのスタンドプレーである。すなわち総理の権力を乱用して、自己のアピールのために自衛隊を利用したわけで、そこには被災者への思いやりも「自己犠牲の精神」のかけらもなかった。

 さらに菅前首相の思いつきの動員により、24万人中、10万人の自衛官が出動した結果、本来任務の領空、領海、領土警備が交代要員もない、手薄な状態になった事を忘れてはならない。

 その隙を窺って、中国のヘリが海上自衛隊の艦船に異常接近したり、ロシアの戦闘機が我が領空に接近したりしてきた。こういう状況下での我が国の国防態勢を偵察したのだろう。こんな隣国に我が国は囲まれているのだ。

 戦後教育の悪弊の一つは、国防の大切さを考えさせない、という点にあったから、その申し子たる菅前総理も、10万人を動員したら、国防の最前線がどうなるかは、念頭になかったと思われる。

 地震や津波と違って、他国の侵略や核ミサイル攻撃は、事前に抑止、あるいは撃退することができる。北朝鮮のゲリラ軍が津波のように押し寄せる前に、あるいは中国の核ミサイルが原発事故以上の惨状をもたらす前に、十分な備えを見せることによって、そうした事態を予防できる。

 民主党が「国民の生活が第一。」と信ずるなら、まずは津波や原発事故以上に悲惨な事態を抑止することを第一に考えなければならない。そして、この国防こそが自衛隊の本来任務なのである。

 事業仕分けで戦闘服を2着しか持てないというような政治をしていては、強くて優しい自衛隊諸士の足を引っ張るだけである。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(378) サマーワに架けた友情の架け橋
 自衛隊のイラク支援活動によって得られた信頼と友情は「日本人の財産」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h17/jog378.html

b. JOG(708) 国家の危機管理能力 ~ 佐々淳行・渡部昇一『国家の実力』を読む
 治安・防衛・外交という「国民を護る仕事」をしない人間が首相になっている。
http://blog.jog-net.jp/201107/article_4.html

c. JOG(694) 大震災で示された「新しい日本」への道
「震災への対応で示された団結などは、本来の日本文化に基づいた新しい目的意識を持つ日本の登場さえ予測させる」
http://blog.jog-net.jp/201104/article_3.html

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1. 桜林美佐『日本に自衛隊がいてよかった』★★★、産経新聞出版、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4819111418/japanontheg01-22/

2. 佐藤正久『ありがとう自衛隊 ~ヒゲの隊長が綴る日本再興奮闘記』★★★、ワニブックスPLUS新書、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4847065212/japanontheg01-22/

3. msn産経ニュース、H24.2.26、加地伸行「9月入学前に自衛隊入隊」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120226/plc12022603110000-n1.htm


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  1. 2012/03/11(日) 20:28:18|
  2. 国際派日本人養成講座
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歴史の嘘の見破り方 「南京大虐殺」などのウソを見破る二つの方法

メルマガ「国際派日本人養成講座」H24.03.04号より、

「南京大虐殺」などのウソを見破る二つの方法を紹介されています。

「脳裏再現性の原則」と「数字補強の原則」

この考えは知らなかったので、
確かになるほどなぁ、と思いました。

是非ご覧ください。

そして大事なのは、
中国、韓国を打ち負かすのでなく、
反日な日本の政治家を落選させることだと思います。

正しいことを言う政治家を応援し、
売国奴には、避難の世論を浴びせる。

がんばりましょう!!

(参考)
●韓国の高官ははっきりと言った。「世界で最も反日なのは日本である」
http://ameblo.jp/nippon-no-hokori/entry-11179034495.html


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■■ Japan On the Globe(739) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■
Media Watch: 歴史の嘘の見破り方
「南京大虐殺」などのウソを見破る二つの方法。
■転送歓迎■ H24.03.04 ■ 39,935 Copies ■ 3,512,387Views■

http://archive.mag2.com/0000000699/20120304080000000.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

■1.河村たかし名古屋市長の「南京大虐殺」否定発言

 名古屋市の河村たかし市長が2月20日、同市役所を表敬訪問した中国共産党南京市委員会の劉志偉常務委員らとの会談で、旧日本軍による「南京大虐殺」について「通常の戦闘行為はあったが、南京事件はなかったと思っている」と発言した。

 その根拠として、河村市長は、終戦時に父親が南京市にいたことを挙げて「事件から8年しかたってないのに、南京の人は父に優しくしていただいた」と指摘した。「南京で歴史に関する討論会をしてもいい。互いに言うべきことを言って仲良くしていきたい」とも述べた。

 これに対し、中国南京市は「河村市長は南京大虐殺の史実を否定、南京人民の感情を著しく傷つけた」として、名古屋市との交流を当面中止すると発表した。

 両者の姿勢は対照的である。河村市長は父親の体験を根拠として、「南京事件」はなかった、と主張しているのに対し、南京市の方は根拠も示さずに「史実」と決めつけている。

 さらに河村市長は「互いに言うべきことを言って仲良くしていきたい」とオープンな議論を前提とした友好を望んでいるのに対し、南京市の方は河村市長の主張自体が「感情を著しく傷つけた」として、議論そのものを拒否している。

 そもそも相手の主張に対して、自分の「感情が傷つけられた」などと非難するのは、単に議論を拒否して、自分の言うとおりにしろ、と言うのと同じである。中国の方が根拠も挙げずに「南京大虐殺」を主張して、日本国民の「感情を著しく傷つけた」ことはお構いなしだ。こういう姿勢から、真の友好が生まれるはずがない。


■2.中韓の自己正当化のための歴史

 近年、我が国は中国の「南京大虐殺」や韓国の「慰安婦問題」など、近隣諸国の歴史攻撃にさらされてきたが、「言いたいことがあっても我慢して、心から謝れば、許してくれる」という日本的な美徳が通用しない相手である事は、誰の目にも明らかになりつつある。

 やはり、相手の非難に対して、歴史事実がどうであったかを徹底的に反論する必要がある。その意味で、河村市長の「南京で歴史に関する討論会をしてもいい。互いに言うべきことを言って仲良くしていきたい」という発言は、国際常識に則った姿勢である。

 歴史のウソを政治宣伝に使うという手段は、古今東西を問わず、広く行われてきた。特に中国の歴代王朝は自らを正当化するために、前王朝の歴史を悪し様に書くことを伝統としてきた。

 現在の共産党政権も「日本軍の侵略から中国人民を解放した」ことを、正当性の根拠としており、そのためにも「南京大虐殺」のように日本軍の悪逆非道ぶりを言い立てる必要がある。

 中国文明の伝統を濃厚に受け継いでいる韓国も同様で、日本帝国主義から国民を解放したことを正当性の根拠としている以上、日本統治が立派であったなどとは、口が割けても言えない。政権末期になると、かならず「慰安婦問題」や「日帝(日本帝国主義)36年の搾取」を言い立てて、国民の不平不満を反日の方向にそらし、支持率を維持しようとする。

 中韓とも、歴史とは自政権の正当性を主張するためのカードであるから、彼らの歴史とは、史実を追究することを目指す近代的な歴史学などとは、似て否なるものである。[a]

 したがって、いくら学問的に論破しようとしても、相手が聞き入れるはずもない。しかし、まずは日本国民自身が彼らの主張の荒唐無稽さを十分に理解して、彼らの歴史攻撃をはねかえすだけの世論を持つ必要がある。本稿では、そのためのノウハウを二つ紹介したい。


■3.「脳裏再現性の原則」

 長浜浩明氏は『文系ウソ社会の研究』で、戦後左翼が語ってきた様々なウソを列挙し、そうしたウソの見破り方として、イザヤ・ベンダサンが『日本教について』で説いた原則を紹介している。その第一が「脳裏再現性の原則」である。ベンダサンによれば、

__________
「事実」を述べる場合は、語られた言葉のどこかに「明確な写生的表現」が含まれているのが当然で、それがないのは異常だと言うことは確かに言えます。[1,p239]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 人間が外部から得る情報の80%以上は、視覚を通じてだという。したがって、本当に本人が見聞したことなら、それを視覚的な光景として表現できるはずである。逆に脳裏に再現できない光景というのは、ウソである可能性が高いということになる。

 長浜氏は、この原則を「南京大虐殺」で自らも悪逆の限りを尽くしたと主張する自称「元陸軍一等兵」東史郎が『わが南京プラトーン-一召集兵の体験した南京大虐殺』に記述した内容に適用している。それは次のような一節である。

__________
 日本軍の分隊長が支那人を郵便袋に入れ、ガソリンをかけて火をつけ、冷やしてやると言って手榴弾を結わえて沼に放り込み爆死させた。[1,p236]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この分隊長・橋本光治氏が登場して、東を名誉毀損で訴えたことで裁判となり、この記述が法廷で吟味されることとなった。裁判の結果、「本に記載されている虐殺行為を裏づける客観的証拠も、描写を真実として信ずる理由もない」として、法廷は東らに罰金50万円の支払いを命じた。


■4.「彼は袋の中で暴れ、泣き、怒鳴った」

 東は裁判の途中でも、TVに登場して、こう語った。[b]

__________
(ナレーションが東の日記を読み上げる)
 どこからか、一人の支那人(放送ママ)が引っ張られてきた。彼を袋の中に入れ自動車のガソリンをかけ火をつけようというのである。彼は袋の中で暴れ、泣き、怒鳴った。

(東) ガソリンぶっかけて、ガソリンというのをね、たった一リッターかけても、ブワッと広がるんです。ボーッと飛び上がりおった。飛び上がって、転がるわけね。・・・

「おい、そんなに熱ければ、冷たくしてやろうか」と言うと、手りゅう弾を2発、袋の紐に結びつけて沼の中へほうりこんだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 東の証言で、その状況が脳裏に再現できるか、という観点から、長浜氏はこう述べる。

__________
 先ず郵便物を人に押込んでガソリンで火をつけた後、どの様にして手榴弾を結びつけたのか。結びつけてから安全装置を外したのか、燃えさかる中でそんなことができる筈がない。

 この郵便袋を池に投げ込んだというが、燃えさかり、手榴弾を結びつけられ、人の入った郵便袋を素手で投げ込んだのか、想像すらできない。[3,p241]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 長浜氏の主張をヒントに、もう少し想像してみよう。郵便袋にガソリンをかけて火をつけたら、炎が「ブワッと広が」って、近づくことすら危険だろう。その中の人間が「飛び上がって、転がる」。それを押さえ込み、手榴弾を結びつけるだけで、大やけどしてしまうはずだ。

 また人間なら少なくとも50キロはあろう。水中とは言え、手榴弾を爆発させるなら、危ないから少なくとも10メートルほどには遠くに投げなければならない。スーパーマンならいざ知らず、普通の人間がどうやったら、50キロもの人間入りの袋を、しかも燃えさかっている状態で、何メートルも投げることができるのか。

 そもそも、この分隊長は、自分が大やけどをしたり、手榴弾の爆発で大けがをする危険を冒してまで、なぜこんな手の込んだ遊びをしなければならないのか。

 どうにも脳裏で再現することが不可能な光景である。判決で「描写を真実として信ずる理由もない」というより、「描写をウソとして信ずる理由ばかり」と言うべきだろう。


■5.「機銃掃射し、銃剣で刺し、石油をかけて殺し」

 もう一つの例を取り上げてみよう。東京裁判では「南京大虐殺」で26万人以上が虐殺されたと判決を下したが、その根拠の一つが次の証言だった。[c]

__________
 敵(日本)軍入城後、まさに退却せんとする国軍、および難民男女老若合計5万7048人を幕府山付近の四、五ヶ村に閉じ込め、飲食を断絶す。凍餓し死亡する者すこぶる多し。

 1937年12月16日の夜間に至り、生き残れる者は鉄線をもって二人を一つに縛り四列に並ばしめ、下関・草鞋峡に追いやる。しかる後、機銃をもってことごとく掃射し、さらにまた、銃剣にて乱刺し、最後には石油をかけて焼けり。焼却後の残屍はことごとく揚子江中に投入せり。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 機銃掃射し、銃剣で刺し、石油をかけて殺し、さらにその屍を揚子江に投入するなどという手間のかかることを、なぜ日本軍はしなければならないのか。

 そもそもこの証言者は、こういう虐殺シーンに立ち会いながら、どういう風に生き延びたのか? 日本兵に見えない透明人間として現場を見ていたというなら、分かるが。

 これも前節の例と同じで、脳裏に思い浮かべることのできない光景である。


■6.「数字補強の原則」

 もう一つのウソを見破る方法として、ベンダサンが挙げているのが「数字補強の原則」である。脳裏に情景が浮かばないのに、日時・時間・距離・金額その他の数字が異常に正確なものは、数字によって信憑性を補強しようとしており、その数字を子細に検討すれば、「必ず数字に矛盾が出てくる」とベンダサンは言う。[3,p240]

 この証言でも「5万7048人」という数字が出てくるが、「四、五ヶ村」もの広域に閉じ込められた人数を、しかも「凍餓し死亡する者すこぶる多し」という危機的な状況の中で、どうしてこんなに正確に数えられるのか? それも、村の数ですら「四、五ヶ村」としか、数えない人間が。

 この証言書は書面として提出されただけで、証言者に対して弁護
側が反対尋問する機会は与えられなかった。アメリカ人弁護士は、
「本人を出廷せしめて、直接反対尋問することは、(英語を話す国
民においては)常識である」と批判している。それが出来なければ
「見たこともない、聞いたこともない、またどこにいるかも分から
ない人間の証言を使って審理することになる」という。

  東京裁判で26万余名の虐殺があったとする判決の根拠の一つが、この「見たこともない、聞いたこともない、またどこにいるかも分からない人間」の証言した「5万7048人」なのである。


■7.遺体埋葬数の不思議

 もう一つ、26万余の犠牲者があったとする根拠のうち、大きなものは、南京市崇善堂という慈善団体が犠牲者112,266体の埋葬を行ったという資料である。

 その詳細数値が期間毎に出ており、これを一日平均埋葬数として算出すると、以下のようになる。

・1912年12月  506体/日
・1913年 1月  49
・    2月  87
・    3月  77
・    4月 8,060

 事件直後の1912年12月こそ、一日あたり506体もの遺体を埋葬しているが、その後、49体、87体、77体と減少している。3月までの記録では、埋葬場所も記録されており、合計で7,548体であり、ここまでは理解できる。ただ戦闘での死者もありうるから、当然のことながら、埋葬数=虐殺数ではない。

 それが事件後、5ヶ月目にして、一挙に日当たり8,060体と百倍にも急増している。場所は城外というだけで、記載がない。弁護側は、日本軍が清掃した後で、5ヶ月も経ってから、合計10万4718体もの死体が残っているはずがない、と主張している。

 この記録も、証人を喚問して、弁護側が反対尋問をかけたら、すぐにウソがばれたはずだ。「南京大虐殺30万人」とは、こんな数字から出てきているのである。


■8.中国に「南京大虐殺」カードを捨てさせるには

 中国の言う「南京大虐殺の犠牲者30万人」の根拠とは、この程度の子供騙しなのである。そして、中国政府はそれを知りつつも、今後も「南京大虐殺」という外交カードが有効である限り、それを使うことをやめないであろう。

 この外交カードを無効にするためには、まずは日本国民の中で、中国の言う「南京大虐殺」がどれほどいい加減で、根拠のないものであるかをよく認識する必要がある。そして河村市長のような発言が出た場合に、広範な国民的世論でしっかり支持をし、中国側が友好行事の中止などと揺さぶりをかけても、「どうぞご勝手に」と無視する姿勢が必要である。

 逆に、日本の政治家や外交官が、目先の「日中友好」を求めて、「南京大虐殺」を史実として認め、すぐに謝ってしまおうとしたら、それに対する轟々たる世論の非難を浴びせかけなければならない。政治家や官僚が、国家国民の名誉よりも、自己の保身や功業を優先すれば、当然、その報いを受けなければならない、というのが、民主政治の正道である。

 日本国民がこのような確固たる世論を確立して、中国が「南京大虐殺」は外交カードとして効力を失った、使っても損をするだけだ、と悟った時、彼らはその使用をあきらめるであろう。要は日本国民の自覚の問題なのである。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(445) 「反日」は中・朝・韓の屋台骨
 中国・北朝鮮・韓国が「反日」を必要とする3つの理由とは。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog445.html

b. JOG(587) TBSの懲りない面々
 なぜ偏向報道・捏造報道が繰り返されるのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h21/jog587.html

c. JOG(015) 先入観を打破する定量的検証を
 南京事件犠牲者数の定量データを分析すれば、中学生でも嘘が見破れる。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog015.htm


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1. msn産経ニュース、H24.2.20、「『南京事件なかった』と河村名古屋市長 中国共産党の市常務委員に『互いに言うべきこと言おう』http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120220/lcl12022011410001-n1.htm

2. msn産経ニュース、H24.2.24、「【主張】河村氏の南京発言 これで問題視されるとは」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120224/lcl12022403050000-n1.htm

3. 長浜浩明『文系ウソ社会の研究』★★、展転社、H20
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4886563228/japanontheg01-22/

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  1. 2012/03/04(日) 16:58:25|
  2. 国際派日本人養成講座
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ルーズベルト大統領は日本に対する「宣戦布告なき先制攻撃」を承認【ハリウッド映画化を折衝中】

メルマガ「国際派日本人養成講座」12/11号
「アメリカの対日先制爆撃計画」より、


ルーズベルト大統領は、えげつないですね。。


『「幻」の日本爆撃計画』(著者アラン・アームストロング氏)


日本でなく、アメリカ人がこのような本を出版してくれて、
日本での出版が、「日本経済新聞出版社」なので、
多くの方が信憑性を持って読んでくれそうですね。


ハリウッド映画化されたら、
インパクトあるでしょうね。折衝中みたいですね。↓

--------------------------------------------
アームストロング,アラン (あーむすとろんぐ あらん) Alan Armstrong
http://www.nikkeibook.com/writer/2798/

ジョージア州アトランタを拠点に活動する航空問題専門の弁護士。
1945年アトランタ生まれ。エモリー大学ロースクールを経て弁護士活動を開始。
アメリカ法廷専門弁護士協会、ジョージア州法曹協会の会員であり、98年からは同州法廷専門弁護士協会の航空部門委員長をつとめる。航空法の権威として寄稿や講演活動を活発に展開し、連邦議会の下院航空小委員会で証言した経歴も持つ。
また、自ら航空機操縦ライセンスを取得し、趣味で第二次世界大戦中に活躍した戦闘機や爆撃機などを操縦している。

日本海軍の九七式艦上攻撃機の複製機を所有。2008年、
本著をもとに自ら執筆した脚本がヴィジョン・フェスタ映画祭の脚本部門でトップ入選を果たし、

【現在、ハリウッドの関係者と映画化に関して折衝中。】

--------------------------------------------




東京裁判で日本無罪論を主張したインドのパール判事の次の言葉が思い出しましょう。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、
また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、

その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、
その所を変えることを要求するであろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


本の概要はこちらでどうぞ↓


------------------------------------------------------
■■ 国際派日本人養成講座 ■■  H23.12.11号
地球史探訪: アメリカの対日先制爆撃計画

真珠湾攻撃の1年も前から、
ルーズベルト大統領は対日先制爆撃計画を進めさせていた。

http://archive.mag2.com/0000000699/20111211080000000.html
------------------------------------------------------

■1.ルーズベルト大統領が語らなかった真実

 70年前の昭和16(1941)年12月8日、日本の真珠湾攻撃の直後、ルーズベルト大統領が行った上下両院合同議会での演説はラジオで全米に放送され、数百万のアメリカ人が聴き入った。

 その演説の中で、大統領は真珠湾攻撃を「日本による一方的かつ、卑劣極まりない攻撃」と非難した。

__________
 しかしながら、その中で合衆国大統領は、アメリカの爆撃機による日本本土に対する焼夷弾爆撃を後押しする計画があったことを明かさなかったし、ビルマで活動を展開中のアメリカ特別航空戦隊の件にもいっさい触れていない。[1,p295]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 こう語るのは『「幻」の日本爆撃計画』[1]の著者アラン・アームストロング氏である。氏は膨大な公文書から、大量の爆撃機とパイロットを中国に送って、中国から日本本土を爆撃しようとするJB-355と呼ばれた計画の全貌を明らかにした。氏は結論部でこう述べている。

__________
 JB-355計画が生まれた政治状況は、アメリカが公式には交戦状態にない時期に、事実上、一交戦国を援助し、軍事行動を率先して計画・実行しようとしたアメリカ大統領の姿を明らかにしている。

もし1941年の夏に、JB-355計画の全貌がアメリカ国民に知られていたとしたら、大統領は弾劾の危険を冒していたかもしれない。[1,p319]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ルーズベルトはこの前年に3選を果たしたのだが、その時の公約は、欧州で生じていた第2次大戦に米国は決して参加しないというものだった。当時、参戦に賛成する米国民は3%しかいなかった。その米国民には極秘で、こんな策謀を進めていたのである。[a]


■2.「中国が日本を爆撃するなら、それは結構なことだ」

 1940(昭和15)年12月8日、真珠湾攻撃の1年前に、財務長官のモーゲンソーは蒋介石の代理人である宋子文とともに、ルーズベルト大統領との昼食会に出席した。

 当時の蒋介石政権は内陸部の重慶にまで追い詰められていた。また米国は、石油や鉄鋼の対日輸出を禁じていたが、あくまで経済的制裁にとどまり、建前としては中立の立場を維持していた。

 昼食会後の宋子文との会話を、モーゲンソーは以下のように記録している。

__________
 そこで私は、1942年までに航空機を提供できるかもしれないが、東京や日本のその他の都市を爆撃するために使うという了解の下で、長距離爆撃機を数機供与するというアイデアについてどう思うか、と宋に尋ねた。彼の反応は、控えめに言っても熱狂的だった。・・・

私は宋に、この件に関して大統領とは相談していないと言ったが、それが大統領のアイデアであることはほのめかした。事実、部分的にはそのとおりで、なぜなら、大統領は私に、中国が日本を爆撃するなら、それは結構なことだと語ったからだ。[1,p68]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「中国側がこれを実行するなら、極東情勢の全貌が一夜にして変わると私は確信している」とモーゲンソーは記している。


■3.日本の都市は「木材と紙だけでできている」

 この会談の後、宋子文は蒋介石の覚書をモーデンソー経由でルーズベルトに提出した。その中にはアメリカとイギリスから派遣されたパイロットと整備工によって機能する、200機の爆撃機と300機の戦闘機からなる特別航空戦隊の結成を提案しており、また日本から1000キロ以内の範囲に、利用可能な軍用飛行場がいくつかある事を指摘していた。

 モーデンソーの記録では、この覚書を読んだ大統領は「非常にご満悦」であり、即座に具体的な計画の策定を命じた。そこでモーゲンソー、宋子文、さらに中国空軍の幹部・毛邦初将軍、毛にスカウトされて米陸軍航空隊を除隊し、中国空軍を指導していたクレア・シェノールトが参加して、具体的な計画を打ち合わせた。

 その中で、モーゲンソーは、日本の都市は「木材と紙だけでできている」ので、焼夷弾の投下を勧めた。なぜ財務長官であるモーゲンソーがこんな事まで知っているのか。実はこの数ヶ月前、東京のアメリカ大使館付海軍武官から次のようなレポートが送られていた。

__________
 (日本の家屋の)100中99は、驚くほど早く引火する薄手の木材で建てたものだ。日本の都市一帯に焼夷弾をばら撒けば、これらの都市の主要な部分は灰燼に帰すだろう。・・・

 輸送施設はすでに過密であり、民間人の避難は著しい困難を伴うだろう。日本のすべての家庭はすでに満員の状態だから、難民の収容施設は限られている。

 飛行機工場、鉄鋼・ガス会社、主要交通機関、政府建物などを含む重要な爆撃目標の完成したリストは、近く作成し、送付するものとする。[1,p106
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 日本爆撃のアイデアは、ルーズベルトの個人的な思いつきというより、ある程度、組織だって準備されつつあった、ということを窺わせる。

 それにしても、この海軍武官のレポートからは、一般市民への無差別爆撃が重大な戦争犯罪であるという認識のかけらも感じられない点に留意したい。


■4.ソ連スパイだった大統領補佐官の後押し

 しかし、この計画はマーシャル参謀総長が疑問を呈したために、一時停滞した。彼は、イギリスが対独戦のために爆撃機を必要としており、中国に多くの爆撃機を送ることは、それだけイギリスを劣勢にする、と主張したのである。

 日本爆撃の計画を再び推し進める原動力となったのが、大統領補佐官として中国を担当していたロークリン・カリーだった。カリーは1941年春に中国を訪れ、5月に米国に戻ると、大統領宛てに覚書を書いた。大統領からは、航空機供与を含む対中支援計画を進めるよう指示が出された。

 カリーは、マーシャル参謀総長にも文書を送り、京阪神地域と京浜工業地域への空爆を提唱し、そのために同年10月1日までに中国に350機の戦闘機と150機の爆撃機を提供することを提案していた。

 カリーは戦後、ソ連のスパイとして追及され、本人は容疑を否定しつつも、南米コロンビアに逃れた人物であった。カリーがソ連と極秘情報のやりとりをしていた事実は、その後、米暗号解読機関が確認している。

 著者のアームストロング氏はこの点を深く追求していないが、当時の状況から見れば、ソ連のスパイとして、カリーが対日爆撃計画に注力したのは当然と思える。

 日本が蒋介石政権を打倒し、中国全体を支配すれば、毛沢東の中国共産党も一掃されてしまう。ソ連はドイツからのみならず、背後から日本の脅威を受ける。日本と蒋介石を戦い続けさせて共倒れにさせることが、ソ連にとって一石二鳥の戦略なのである。

 また米国を対独・対日戦に参加させることは、ソ連を大きく有利にするもう一つの戦略であった。ルーズベルトは、最後通牒とも言うべきハル・ノートを送って、日本を窮地に追い込み、真珠湾攻撃に立ち上がらせたのだが、その案を作成したハリー・デクスター・ホワイトもソ連のスパイであった。

 この時期のルーズベルトは、スターリンの送り込んだスパイたちによって操り人形となっていた感がある。対日爆撃計画もその一環ではなかったか。


■5.ルーズベルト大統領の計画了承

 カリーの対中航空機供与計画は、一部修正された後、5月28日に提出され、陸海軍首脳部の承認を受けてから、JB-355計画としてルーズベルト大統領に提出された。ルーズベルトがサインをした計画書の原本が写真で公開されている。ルーズベルトは、計画書にこうメモして、承諾を与えている。

__________
「1941年7月23日。了解--ただし、軍事使節団方式を採るか、アタッシェ(大使館付武官)方式を採るかについては再検討されたし。FDR(JOG注: フランクリン・デラノ・ルーズベルトの頭文字)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 軍事使節団方式か、アタッシェ方式か、とは、中国での米軍機による「特別航空戦隊」の将校たちを、どういう規模と形で送るか、という問題だった。当然、アタッシェ方式の方が目立たないが、人数が限られる。

 航空機の供与は、この年3月にルーズベルト大統領が成立させた武器貸与法によって合法的に実施できた。この法律は、大統領の判断で、あらゆる軍需物資を売却、あるいは貸与できるというもので、これ自体が中立国としての国際法違反の疑いがある。

 しかし、この武器貸与法によって、中国軍がアメリカの戦闘機や爆撃機を使っていても、米国内向けには「米政府が売った、あるいは貸したもの」と言い逃れができる。

 しかし人員まで提供したとなると、ごまかしは効かない。米軍軍人が中国で日本爆撃を行う「特別航空戦隊」を指揮していたとなれば、ルーズベルト政権は議会の承認を受けずに、実質的に米国を対日戦に参加させていたと非難されるのは確実である。

 これが冒頭で、アームストロング氏が「大統領は弾劾の危険を冒していたかもしれない」と述べた問題であった。したがって、JB-355計画は米国民に知られないように、極秘のうちに進めなければならなかった。


■6.民間義勇兵という擬制

 より深刻な人員問題は、アメリカの最新鋭戦闘機・爆撃機のパイロットや整備士をどうするか、ということであった。飛行機は大量生産できるが、人材の育成には時間がかかる。

 中国空軍も中国人パイロットの育成を図っていたが、そのレベルは低いものだった。1941年3月に成都上空で行われた空中戦では、日本軍の12機と中国軍の31機の戦闘機が交戦した。

 中国軍はすぐに編隊を崩したが、日本軍は2機編隊で中国機を追い詰めた。1時間の戦闘後、日本軍機は燃料が不足し始めて帰還したが、目に見えた損害はなかった。一方、中国軍は15機が撃墜され、8名のパイロットが生命を落とした。

 中国人パイロットの技量がこの程度だったので、膨大な数の米国の戦闘機、爆撃機を中国で使うためには、それに相当するアメリカ人パイロットと整備士も送らなければならなかった。しかし、現役の軍人を送ることは許されない。

 そのために、現役の軍人を退役させ、あるアメリカ企業の中国現地法人である民間会社が彼らを雇って、義勇兵として活動させる、という擬制をとった。

 報酬は倍となり、また日本の飛行機を1機撃墜するたびに500ドル支払われるという好待遇だった。しかも1年の任期の後は、ふたたび、もとの地位で米軍に復帰できるという条件付きであった。

 アメリカから中国に供与された第一陣、戦闘機100機の要員として、100名のパイロットと200余名のサポート要員が1941年6月初旬、サンフランシスコから船で出航した。彼らはビルマのジャングルに送られ、最新鋭のカーティスP-40戦闘機の操縦訓練を受けた。


■7.「理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には」

 しかし、爆撃機が中国に送られる前、12月8日に日本の真珠湾攻撃が敢行され、アメリカの「特別航空戦隊」は、戦闘機のみの戦隊として、日本軍に戦いを挑んだ。これが「フライング・タイガーズ」と呼ばれる「アメリカ人義勇兵部隊」の正体である。

 日本政府・軍部は、アメリカの先制爆撃計画の情報をつかんでおり、真珠湾とフィリピンの米軍基地、それに中国内陸部への攻撃によって、米爆撃機の中国移送を不可能にさせた。

 1942年4月18日、米空母から発進したB-25爆撃機16機が東京、横浜、横須賀、名古屋、神戸に爆弾を投下したが、目立った損害は与えられなかった。その後、燃料が切れたために、1機はウラジオストックに、4機は中国東部沿岸地方に不時着し、残りは乗員がパラシュートで脱出し、全機が失われた。

 これは、日本爆撃計画を不完全になぞらえた作戦であるが、中国と西太平洋の制海・制空権なくしては、もともと無理な計画であった。米軍が日本空爆を実施したのは、1944(昭和19)年7月のサイパン島攻略後、同島からB29を発進できるようにした後であった。

「日本による一方的かつ、卑劣極まりない攻撃」とルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を非難したが、その1年も前から自らリーダーシップをとって、日本への爆撃計画を進めさせていた事実は、闇から闇に葬られた。しかしアームスストロング氏の労作は、米国の公文書を使って、その事実を暴きだした。

 この経緯は、東京裁判で日本無罪論を主張したインドのパール判事の次の言葉を思い起こさせる。

__________
 時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう。[b]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(096) ルーズベルトの愚行
 対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog096.html

b. JOG(059) パール博士の戦い
 東京裁判で全員無罪を主張
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog059.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1. アラン・アームストロング『「幻」の日本爆撃計画』★★、日本経済新聞出版社、H20
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4532166748/japanontheg01-22/


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